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東日本大震災体験談

東日本大震災2

駐車場から車で逃げた私は、まず、妻の実家へ向かいました。

通常であれば、車で10分のその距離も、当時は垂れた電線、落下物、人、動かない信号機で思うように進めず、30分ほどかかったでしょうか。

そこで、妻の祖父、祖母、そして海沿いにあった店から非難してきた妻と義母、そして私の母と合流することができました。


余震は相変わらず頻発していた上に、雪も降ってきました。

普通であれば、ライフラインは全て止まっているものの、津波の心配のない家の中で、様子を伺ったところでしょう。

ところが震度7の地震で壁が落ちてしまっていたので、家内にも入ることができませんでした。


現状を知るにはラジオしかありませんでしたが、流れてくるのは余震の震度情報や、津波が来るから海岸から逃げろということばかり。


当たり前ですが、自分たちがどこに行き、何をすれば良いかなどは誰も教えてくれません。

道路に出てきて、うろうろする人たちはたくさんいても、皆が明確な目的などなく、とまどうばかりでした。


路上にいても仕方ないからと、妻と話し合い、歩いて20分ほどの避難所となっている小学校へ向かおうと思いましたが、高齢の祖母(骨粗しょう症のリハビリ中)、祖父(末期癌ゆえに自宅療養中)がいるし、何より余震が続いているので、むやみに動くのは危ない。

そこで、近くにある、その地区の集会所へ行くことに。


後から聞けば、避難所となっていた小学校では暖房が足りなかった上に、人が殺到し、最初の3日ほどは横になるスペースすらなかったとか(2,3日後には、家が無事な人たちは帰宅し始めた)。

その代わり、4日後くらいから少しずつ食料、水等の物資が届き始め、情報も集まり出し、4,5日後には炊き出し等も始まりました。


一方、我々が非難した集会所は、座布団を並べて、横になることはできたし、さほど広くない集会所ですから、灯油ストーブが3台あったことで、暖を取ることができました。

その代わり、食料は各自が準備したものしかなく(近いので、家にある分だけは持ってこれたが)、正規の避難所ではないということで、その後、一切の食料、水の配給はありませんでした。

さらに地震そのものの情報は、ラジオ以外なく、生活情報等も全く入ってこない。


正規の避難所ではない場所には、避難物資は一切届きません。

たとえ、目の前を自衛隊の車列が通ってもです。

これは非正規避難所に限ったことではなく、度々報道もされていましたが、家が無事で、自宅で避難している人たちも同じ。


幸い、私たちは、集会所をまとめていた班長さんを筆頭に、若い人が中心となり(もちろん私や妻もです)、あちこち歩いて情報を集めたり、必要な日用品を持ち寄ったり、地元の食品加工会社の協力もあって、5日ほど何とかなりました。


遠い小学校か、近くの集会所か、一体どちらに避難すればよかったのか。

あの時の判断が正しかったかどうかは、今考えても分かりません。

続く。


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